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2024年 欧州近自然川づくり調査報告

5. スイス・リント川における流域治水~超過洪水時(L1.5)の緊急放流対策~

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河川情報センター 理事長・東京大学 名誉教授 池内 幸司

要約

リント川

スイスでは、設計規模を超える洪水(1/300規模等)を対象にして氾濫水を制御し、被害を軽減するとともに壊滅的被害を回避する対策を講じています。

リント川は、チューリッヒ湖とその上流側に位置するヴァーレン湖を結ぶ河川です。

1807年以前のリント川(図1)は、山岳地帯に源を発し、低地を流れてチューリッヒ湖に注いでいましたが、大雨や雪解けの際には氾濫が頻繁に発生していました。

図1 1807年以前のリント平原の状況

特に、リント川下流の平野部では、毎年のように洪水が発生して農地が浸水し、作物が被害を受けるため、農業生産が著しく制限されていました。 さらに、地域の湿地化が進んだ結果、感染症も発生し、住民にとって極めて厳しい生活環境となっていました。

このため、農業生産の確保と健康被害の防止を目的として、抜本的な治水対策が講じられました。

スイスでは、治水計画を策定する際に、洪水対策と土砂対策を総合的に考え、洪水対策だけでなく土砂対策もきちんと行っていました。 具体的には、河道を付け替えて、ヴァーレン湖を活用し、洪水調節を行うとともに、土砂混じりの水から土砂を沈殿・分離させていました。 すなわち、洪水調節と土砂対策を目的として河道の付け替えを行っていました(図2)。

図2 ヴァーレン湖からオーバー湖への導水

その結果、現在のリント川はヴァーレン湖からチューリッヒ湖に流れるようになりました。 その流路は、興味深い構造を有しており、本川、副水路、F水路の3つの水路で構成されています(図3)。

図3 リント平原の3つの独立した水系

この区間は低平地で地形勾配がほとんどありません。 洪水時の流下能力を高めるためには、流速を確保する必要があり、水面勾配の確保が必要でした。 そのため、上流側では当初から運河を高く築造していました。 周辺が地盤沈下した結果、河床との高低差が一層大きくなりました。 排水に苦慮した結果、副水路、さらにF水路が築造されました。 また、農業生産のためには、土地をある程度乾いた状態に保つ必要があります。 水路を整備して地下水位を下げ、土地を適度に乾燥した状態に保つことで、農業の生産性を向上させていったということでもあります。

ヴァーレン湖による洪水調節の効果について、2005年の洪水では、湖への流入が400m3/sであったのに対して、流出を250m3/sに低減させることができました(図4)。 この間の湖水位の上昇量は、2~3cm程度でした。 このように、効果的に洪水調節が行われました。

図4 ヴァーレン湖における洪水調節効果

1999年に1/100規模の大洪水が発生しました。 リント川の水位は堤防の天端すれすれまで上がり(図5)、非常に危険な状況になりました。 堤防に亀裂が発生しました(図6)。 堤防は決壊寸前でした。

図5 1999年洪水(1/100規模の洪水)
図6 1999年洪水(堤防亀裂)

2005年の洪水でも、堤防越水が発生し、非常に危険な状況になりました(図7)。 副水路では湧水も見られました(図8)。 このときは堤体材料の吸い出しはなかったため事なきを得ましたが、堤体内の漏水と基盤漏水という2つの要因により、堤防が決壊する危険にさらされたと考えられます。

図7 2005年洪水(堤防越水)
図8 2005年洪水(副水路の湧水)

リント川の治水対策

リント川の治水上の課題は、上流部に大きな湖があり、洪水調節の機能がある一方で、洪水の継続時間が非常に長くなることです。 その結果、洪水時には、堤防が長時間高水位にさらされます。 1999年と2005年の洪水では堤防決壊の危険性が高まりましたが、水防活動と幸運が相まって、何とか堤防決壊という最悪の事態を回避できました。

検討の結果、多くの区間で堤防の安全度が低いことが判明したため、堤防の安全性を強化するプロジェクトも含めた総合的な洪水防御事業「リント2000」が実施されました。 このプロジェクトは2008年から2013年にかけて行われ、事業費は数百億円程度の規模でした。 これはスイスとしては大きな治水プロジェクトであり、事業が集中的に実施され、モニタリングも行われました。

プロジェクトの内容(図9)は、堤防の改修や川幅の拡張に加えて、自然な形状を持つ浅い河岸を整備するとともに、旧流路の復元を行うことにより、自然環境の再生を図るというものでした。 また、注目すべき点として、異常洪水時の緊急放流をシステム化したことが挙げられます。

図9 リント2000プロジェクト

さらに、流域において、自然再生や農業利用のための土地の再整備も併せて実施されました(図10)。 これは真の意味での流域治水の実践と言えます。 河川改修だけでなく、複合的な目的で周辺の農地整備も実施されたということです。

図10 リント2000プロジェクトの全体図

加えて、堤防の安定性を評価し、その結果に基づいて戦略的に事業を実施しています。 区間ごとの堤防の安全度を数値化し、危険度を4つのクラスに分けています(図11)。 プロジェクト実施の結果として、全ての区間で1.3以上の安全度の評価となっています。 堤防補強のための腹付けに併せて、自然環境に配慮した形での河岸整備も行われています(図12)。

図11 堤防の安定性評価(事業実施前)
図12 堤防補強

河道拡幅に当たっては、河岸の保護対策として護岸ではなく水制が設置されました。 水制工は自然環境保全の機能も備えており、スイスでよく使われています。 チューリッヒ工科大学での模型実験(図13)の結果を踏まえて、河道設計が行われました。

また、旧河道を活用して、自然再生事業が実施されました(図14)。

図13 河道拡幅の模型実験
図14 緊急放流箇所(図中赤丸の箇所)

超過洪水対策

超過洪水時に流量の規模が一定程度を超えた際には、副水路を通じて流域に放流するための施設が設けられています(図15)。

図15 超過洪水時の緊急放流対策

洪水防御の目標(L1)は1/100で、これは日本とほぼ同じです。 余裕高は1mで、海外では一般的な値です。 超過洪水も定義されています。 日本で言うL2ではなく、L1.5です。 これをEHQとしています。 EHQの洪水が発生した場合には、「損傷が容認される場合もあるが、システム全体が崩壊してはならない」とされており、超過洪水時においても氾濫流を制御することが求められています。 要するに、超過洪水に対して具体的な対策を講ずることが求められています(図16)。

図16 具体的な超過洪水対策

EHQの場合には、設計流量を超える水量を、運河から緊急排水区域または排水回廊に導きます。 緊急放流を行うことで、「制御不能な堤防越水を防止する」こととしています。 つまり、堤防のどこが決壊するか分からない状況は絶対に避けるということです。 超過洪水のうちEHQまでは具体的に洪水流を制御することを求められています。

設計流量を超えても、1/300規模までは堤防の天端付近まで水位が上昇した状態で洪水流を河道内で流下させます。 これを超える場合には、超過洪水時における緊急放流のために設置された堰のゲートを開けて超過洪水流を副水路に放流します。 放流基準は水位で決められています。 副水路の流下能力を超えると、緊急放流水の一部は平野に流れ込みます。 このように、計画高水流量を超えた数百分の1の規模までの計画を策定し、具体的な対策も講じています。

緊急放流施設は、自然再生のために拡幅された箇所に設けられています(図14)。 当該箇所に設置された堰(図17)のゲートを開くことによって、そこから洪水を副水路に流入させ、副水路に流入した水が周辺の低地へあふれ出ることになります。

図17 緊急放流用の堰

現地の案内看板(図18)には、自然再生事業の説明とともに、いざというときには当該箇所から緊急放流を行う旨が記載されていました。

図18 緊急放流施設の案内看板

堰の操作室内部の電源設備及び非常用電源設備について説明します(図19)。 堰を稼働させる主な動力源はディーゼルエンジンです。 商用電源を用いてディーゼルエンジンを始動しますが、商用電源を利用できない場合には予備電源を使います。 予備電源も使用できない場合には手動ポンプを使用します。 手動ポンプを使う場合の作業時間を尋ねると、「相当かかる」とおっしゃっていました。 このように、三段階の備えによって動力源が確保されています。 緊急放流の実施は、その場で人が判断するのではなく、水位によって基準が明確に決められているとのことでした。

図19 緊急放流ゲートの電源設備

もう一つ重要なのは補償制度です。 緊急放流によって、建物、施設、作物に損害が発生した場合には、日本で言えば国土交通省の河川事務所にあたるリントヴェルグという機関が補償することになっています。 緊急放流対策については、他の河川において、住民によって訴訟が提起されています。 この地域ではありませんが、緊急放流に反対する訴訟が住民によって提起されました。 結局、住民側が敗訴し、連邦裁判所が緊急放流対策を承認することになりました。

次に、他の河川の例を示します(図20)。 エンゲルベルガー川の2005年の洪水では、流域への緊急放流が実施されました。 町は輪中堤で守られ、氾濫水は農地を経て下流へ流れました。 家屋は被害を受けなかった一方で、農地は被害を受けました。

図20 エンゲルベルガー川の2005年洪水

以前は、スイスも日本と同様に1/100規模の洪水を対象とした治水施設の整備にとどまり、超過洪水時の氾濫水の具体的な制御対策はありませんでした。 一方、新しい考え方では、土地利用に応じて治水安全度を定め、超過洪水の場合でも、最悪の事態を避ける具体的措置を講じるということです(図21)。 土地利用別に安全度が設定されており、HQは1/1、1/10、1/20、1/50、1/100規模の洪水等となっています(図22)。 EHQは日本でいうL1.5、PMFは想定最大規模(L2)の洪水に相当します。

図21 洪水防御方針の大転換(スイス)
図22 保護対象に応じた治水安全度の設定

スイスの場合はL1とL2の間にEHQ(L1.5相当)を設定するとともに、土地利用に応じて安全度に差を設けることを定めています。 これにより、超過洪水が発生した場合でも、農地が先に浸水することで遊水効果が発揮され、その結果市街地の被害が軽減されるようになっています。

日本におけるL1.5対策

2023年に調査したロイス川では、最初は河道内を流し、次に高速道路を放水路として利用し、さらに流域内を通じて超過洪水を下流側へ安全に流下させる計画になっていました。 そのために、超過洪水時の緊急放流設備の整備も行っていました(図23、24、25)。 スイスでは、このように、超過洪水時に氾濫水を越流させる箇所が多く設けられています。 すなわち、治水施設の計画規模を少し超えるL1.5に相当する洪水に対しても、氾濫水を制御するための具体的な対策が講じられていました。

図23 ロイス川緊急放流設備(アルトドルフ)
図24 ロイス川の洪水防御対策
図25 ロイス川の緊急放流設備(エルストフェルト)

私は水管理・国土保全局長として、2015年の社会資本整備審議会の答申(図26)の取りまとめを担当しました。 河川計画課長時代には、津波防災対策の取りまとめも担当し、L1、L2の概念整理を行った経験があったため、洪水対策についても津波防災対策と同様に、L1とL2という概念で整理しようと考えていました。 そのような中で、小委員会の委員から、洪水の場合には計画目標を少し超過するような洪水については、具体的な制御が可能ではないかとのご指摘を受けました。 その結果、2015年の社会資本整備審議会の答申では、L1.5に相当する洪水に対する対策が盛り込まれました。 これは2020年の答申でも一部が踏襲されています。

図26 2015年河川分科会答申

しかし、残念ながら、超過洪水時の氾濫水の制御対策については、ほとんど具体的な取組が進んでいません。 場所にもよりますが、対応が可能な箇所もあると思います。 超過洪水が発生した場合でも、堤防決壊による被害を軽減するとともに壊滅的な被害を回避するためのL1.5対策を進めていく必要があると考えています。 超過洪水時に堤防のどこで決壊するか分からないという状況を回避するために、氾濫水を制御するための具体的な対策を講じるべきではないかと考えています。


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