政策研究大学院大学の知花です。
私は本研究会の初期からのメンバーであり、初めて柿田川を訪れた2000年(当時24歳、博士課程1年生)から数えて26年が経過しました。
本日の報告内容は3年前に提示したスライド(https://www.rfc.or.jp/kakita/presentation1801.pdf)とほぼ同じですが、新たに加わったメンバーも多いため、改めて柿田川という場をスケールの階層性に着目して復習したいと思います。

まず地質についてです。
伊豆半島は海底火山が発達して本州に衝突したという形成過程を持つため、本川である狩野川の地質はほぼ完全に火山岩で構成されています。
柿田川は富士山からの「三島溶岩流」の末端に位置していますが、溶岩そのものが露出している楽寿園や鮎壺の滝とは異なり、溶岩の末端に広がる「岩屑なだれ堆積物(がんせつなだれたいせきぶつ)」という砂と細かい砂利が混在した地質の中を流れています。

扇状地性の地形を有しており、等高線を引くと三島溶岩流の末端に砂と細かい砂利が流れてできた扇状地が浮かび上がります。
柿田川や隣接する境川は、この砂と砂利の層を深く削り込んで流れている、すなわち「扇状地性の台地を削りこんで流れる川」なので、例えば埼玉県を流れる新河岸川の支流に近い雰囲気を持っています。

次に、歴史的遺構と地形の関連について述べます。
最近、山城巡りをしているのですが、その視点から見直すと、全然違ったものが見えてきました。
今から20年前の2005年頃には、柿田川に入ってくる支流を気にしていましたが、その当時作成した図には「一ノ洞」は描けていません。
柿田川公園は泉頭城址ですが、この城の絵図には「一ノ洞」が描かれています。「二ノ洞」(支流1)は、本日の現地視察で橋を渡りましたが、まさに城の「堀」として機能していました。
山城の構造は、建物を置くための「曲輪(くるわ)」という平坦地と、敵の侵入を防ぐために人工的に急斜面をつくる「切岸(きりぎし)」で構成されます。柿田川公園にはなだらかな緩斜面がほとんど存在せず、平坦地と崖しかないのは、そういうことです。
初期のころ川那部先生が、河畔林が薄いとおっしゃっていましたが、斜面部分が欠如して林が崖に直接張り付いているため、物理的に河畔林の幅が確保できない構造になっています。そして近年は斜面林の倒木も問題になっていますが、これには人為的な影響もあるのだと、今日改めて思いました。
現在の駐車場は当時の「本郭(本丸)」であり、三ノ洞沿いの一段低くなっている場所は「堀の底」に該当します。

水の動きに関しては、江戸時代に芦ノ湖から黄瀬川筋の方にトンネルで抜いた「箱根用水」の末端部分に位置しています。暗渠を通って大半の落ち水は池に入り農業用水として使われますが、そのわずかな残り水が、暗渠を通じて二ノ洞や三ノ洞に流入しています。
箱根用水の残り水だけかというと、そうではなく、道路の側溝を経由してくるため、降雨時にはたばこの吸い殻やゴミなどを伴って柿田川に入ります。
三ノ洞沿いの水が湧水本来の冷たさを持たず、ぬるいのはこのためです。
ちなみに余談ですが、河川と用水路は真逆です。河川は細かい沢が集まって大きくなっていくのに対し、用水路は、大きな流れから分岐して細かくなって消えていきます。等高線の一番低いところを流れるのが河川で、なるべく高い所を通すのが用水路です。

つぎに土砂の話です。
土砂の粒径分布に柿田川の特異性が見られます。
一般的な火山の河川は0.05〜1mm(平均0.2〜0.3mm)程度の材料で川底や川岸が構成されています。粘土が混ざっていることがありますが、それを除くと、ほぼこの粒径です。それは何故かというと、火山の河川では細かい材料が多く、川岸を構成すると共に洪水後は浮遊していた砂が河床表面を覆います。粒径が大きくなると高く舞い上がらないので川岸をつくりません。
堆積岩の河川では、川岸は同じなのですが川底を覆うことはなく,川底には2mm~1cmの粒径が多く、1mm前後は主体ではありません。

一方、柿田川には0.5〜3mmという「中途半端なサイズ(細礫)」が非常に多く含まれています。
狩野川水系全体を俯瞰すると、この粒径は大場川合流点から下流で急増します。
大場川は三島溶岩流筋から来るため、柿田川と同じ系統の流れと言えます。
対して、13.3km地点より上流の伊豆半島由来の地点では、この粒径はほとんど見られません。

ただし、13.3km地点より上流でも、この粒径はなぜか狩野川放水路の分派点の上流にだけ溜まっているので、本川河口の沼津港に加えて放水路の先の海底堆積物にも表れています。
見解をまとめると、この粒径は狩野川には多くないんですが、放水路の分派点に何かしらの理由で集中しています。それが洪水の時に流されるので、放水路の出口にも堆積しています。
しかし多いのは、岩屑なだれ由来のもので、大場川より下流の支川がこれを運んできている。
この「ざらざらした砂」というのが三島周辺の支川の特徴で、柿田川もその一つということです。

つぎに流量についてです。
流量は100万m3/日(12m3/s)で、冬場にやや減少するという季節変動があります。
湧水河川のため自ら増水することはありませんが、狩野川本川が増水した際には強い「バックウォーター(背水)」現象が生じます。

2007年の大規模な洪水時には、水位が約7メートルも上昇しました。
洪水時には多少の貯留効果はあると思いますし、その際に微細な砂が流入する可能性はありますが、下流の眼鏡橋付近が急勾配のため、その砂もすぐにフラッシュされるでしょうし、柿田川に狩野川から物質が運び込まれるというのは少ないと考えられます。
ただし、水位上昇は周辺の植生や川岸侵食への影響はあると思われます。

柿田川の河床勾配は全域で1/500程度ですが、扇状地河川は概ね1/50~1/400、平野に入ると1/1000程度なので、中途半端な勾配と言えます。
柿田橋を越えると1/150になります。

柿田川の平面線形はやや特異で、きれいに蛇行しているわけではないのに、不規則に曲がって流れています。これが何故かはよく分からなかったのですが、溶岩の上に砂礫層があり、その砂礫層が溝状に抜け落ちたからではないかと考えました。川が谷を削ったのではなく水みちの上の砂が溝状に抜け落ちたということです。この推測は、後に見た清水町史の記述とも一致しました。

確かに柿田川は、砂礫質からなる柔らかい岸を蛇行して流れているのに両岸が切り立っているのは不思議な形状です。通常は、外岸が切り立ち内岸はなだらかになります。この形状は、この形成プロセスに由来すると考えると説明がつきます。
こうした形成過程に加え,源頭部は築城の過程で緩斜面があっても切岸にしたと考えられますので、柿田川は全川にわたってなだらかな斜面がなく、その割に平坦地が多いという、不思議な形状になっているということかと思います。

中規模河床形態の領域区分の図に当てはめると、柿田川は砂が細かいので普段の流量でも掃流力は強くなり、交互砂州ができてもおかしくない領域にあてはまります。

川幅(40〜50m)は狭く見えますが流量規模で見るとけして狭くありません。主流線が左右に寄りながら、砂州が右岸、左岸と交互にできるのが柿田川の安定的な形だと考えられます。
通常の河川であれば、平水時には水位が下がって砂州が見えますが、柿田川は言わば「常時洪水」の状態にあるので、砂州もすべて水没し、砂が常に動きます。
その砂の供給源は周辺の岩屑なだれ堆積物です。砂と細かい砂利を柔らかく固めたような地層なので、川岸が削れるといくらでも供給されます。

つぎに断面についてです。
通常の蛇行部は、外岸が深く掘れていますが、柿田川はそうではありません。
はじめからS字の水路をつくって水を流しても外側は速くなりません。水面勾配がつくのは内側で、内側から削れていきます。
柿田川もそうです。実際に計測すると内岸の方が流速は大きくなります。
侵食による倒木は内岸で多く発生し、外岸の流れは淀んでいます。
その意味でも、柿田川の蛇行は川がつくった蛇行ではないということです。



20年前のトラップ調査でも、外岸側では砂が入らず、内岸側でのみ大量の砂が捕捉されました。
砂の中には大量の石炭殻も混ざっていましたが、内岸に沿って1〜2mmの粗い砂が動いていることがわかりました。

この砂の供給源は、二ノ洞と三ノ洞の末端部で扇状地あるいは三角州状に砂がたまっていることから、これらの沢筋から来ていると推測されます。

それ以外の土砂の供給源はまさに「岸」そのものであり、それが様々な場所に堆積していき、最終的には工業用水の取水口の場所に溜まります。
工業用水の取水口前に溜まった砂には葦原が広がっていました。その土砂を平成27年に撤去しましたが、それがアオハダトンボに対して負の影響を与えた可能性も否定はできません。


当時水中を観察した際には、内岸の砂が動いている場所にコカダナモが入り、コカダナモが砂をためて、その下流側にまたコカダナモが入って下流に拡大するという状況で、内岸側にコカダナモが生えていた印象でした。

初めて訪れた25年前には、私は瀬と淵の研究をしていましたので、瀬淵のない、川か泉なのか分からない川に立ち、ここで何を研究しようかと困ったことを覚えています。そこで、まずは、柿田橋周辺にどんな場ができているかを細かく見ることにしました。意外と様々な場が形成されていました。私は場の特徴がわからない時には、こうやって場を類型化することから始めます。
柿田橋下流は、現在は樹木が対岸まで接するほど成長し、水面を覆い尽くしています。同じ場所で2007年頃に撮った写真を見ると、水面が開けていますね。
20年間の樹木の成長は大きな影響を与えていると考えられます。

私は、柿田川をミクロに見ることからはじめました。やがて、土砂がどこから来るのかとか地形的な成り立ちというマクロに関心が移っていきました。現在は、粒径などのミクロな領域に再び興味が移りかけているところですが、マクロの視点も踏まえながらミクロを見る必要があると考えています。
(質疑応答)
【塚越】常時洪水の状態で水位が変わらない中で交互砂州ができる際、砂はどのように動きますか。
【知花】本来、交互砂州は下流へ移動するものですが、S字の蛇行形状で屈曲が20度程度になると移動が停止します。柿田
川の湾曲部は急なので、この砂州が停止するに入っていると考えられます。位置自体はほぼ固定されていますが、
砂は常に入れ替わっていると思われます。
【塚越】砂の供給の安定性について定量的に把握する必要があるのではないでしょうか。
【知花】定量的な把握をするためには、砂の供給源を特定する必要がありますが、これが以外と難しいです。湧水とともに
湧き出すという説もありますが、トラップを横に置いても砂が捕捉されなかったので、私は否定的な見解を持って
います。かといって、供給源が解明されているわけではありませんが、岩屑なだれの「切岸」や自然の「岸」から
じわじわと供給されていると考えています。そうだとすると、供給量が増える要素はないので、落ち着いてくると
思われます。約10年前は掘削が必要になるほど多かったのですが、現在は落ち着いてきている印象です。といった
ことを断面や下流端からの流下土砂量のモニタリングで定量的に把握することも必要かもしれません。
【加藤】10数年前の狩野川河口域の大掘削時の堆積物を確認すると、発泡性の火山性のものがほとんどを占めていました。
このようなものは大場川合流点から上流には見られず、下流にのみ見られます。量的な問題は残りますが、下の方
からの供給というのは否定できないと考えています。 |